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戦時下の文学 「抑圧」表現問い直す意味

文化部 阿部秀俊
 	雑誌「大陸」創刊号の表紙(秦剛北京外国語大教授提供)。主要な掲載作品は、近く発売される文芸誌「早稲田文学」夏号に再録される
雑誌「大陸」創刊号の表紙(秦剛北京外国語大教授提供)。主要な掲載作品は、近く発売される文芸誌「早稲田文学」夏号に再録される

 最近、戦時下の文学にまつわる新資料の発見や、それに基づく研究成果を取材する機会が続いた。表現の自由が奪われていた時代、文学者たちはどのように戦争と向き合ったのか。二つの事例から、いま問い直すことの意味と困難さについて考えた。

 1944年から45年にかけて中国・上海で発行されていた月刊誌「大陸」が昨夏、北京の中国国家図書館で見つかった。出版の事実すら忘れ去られていたこの雑誌には、武田泰淳(1912〜76年)や井伏鱒二(1898〜1993年)、壺井栄(1899〜1967年)ら著名な作家が小説や随筆を寄せていた。

 存在を確認した北京外国語大教授で、国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)海外共同研究員の秦剛(しんごう)さんは「占領期の上海は、検閲の厳しかった日本国内に比べ、やや自由な表現が許されていた」と推測する。軍事評論や戦局展望に誌面の多くが割かれ、「戦争完遂のための宣伝メディア」の性格が色濃いものの、寄稿作品からは作家それぞれの戦争観が浮かび上がってくる。

 秦さんが例に挙げた壺井のエッセー「初夏を待つ」は、雪の残る早春に、初夏の随筆を求められた戸惑いから始まる。「こんな時にもう初夏のことを考へられるだけでもいゝぢやないか」とのセリフを配し、「さういへばさうだ。空襲空襲で緊張しつづけの昨日今日である」とつづる。そして「綿入り着物の重ね着は身も心も重たい。こんな着物をぬぎ捨てゝ、若葉の茂る径を、単衣(ひとえ)の絣(かすり)を来て歩くことを考へると、たしかに気持が軽くなる」と筆を進め、「今年の夏は、どんな生活が待ちうけてゐることか」と締めくくる。正面から戦争や軍部の批判はできなくても、許された言葉を駆使する文学者のしたたかさがかいま見える。

 一方で、過去の作品に過剰な意味を読み取ろうとする欲望には注意が必要かもしれない。日文研助教石川肇さんの近著「舟橋聖一の大東亜文学共栄圏」(晃洋書房)が、そのことを気づかせてくれた。

 同書は、舟橋(1904〜76年)が45年5月に刊行した「悉皆(しっかい)屋康吉」が、戦後になって「抵抗の文学」と評価されたことに疑問を投げ掛ける。時局に流されない芸術家の生きる姿を描いたこの小説は、抵抗を意図したのではなく、生き方から道徳にまで美を見いだす「芸術至上主義」の所産だったと、新資料を駆使して解釈した。

 石川さんは「戦後の主体性論争に象徴されるように、戦時下の日本にも時流に抗する主体性のある人間がいたと信じたい、その思いが『抵抗の文学』観を生み出した面がある」と推測し、「文学を読むことは必然的に解釈が伴う。それが難しさであり、面白さだ」と語る。では当時の人々は、文学者のぎりぎりの表現をどう解釈し、どんな意味をくみ取ったのだろう。言論をめぐる状況に暗さが漂ういま、あらためて知りたい。

[京都新聞 2018年4月4日掲載]

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