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六道珍皇寺に学ぶ 簡素な中に木の美を生かし

(右)本堂仏間の欄間は「伽羅陀山」を表し、千体地蔵が参拝者を見守っている
(左)伝教大師作と伝わる本尊の薬師如来坐像(重文)。9月30日まで特別公開されている
 子供の頃(ころ)は、お盆のお精霊(しょらい)さんの迎えが大変怖く、閻魔(えんま)大王、地獄絵図など世にも恐ろしい世界に半泣きになりつつ、毎年、門前の陶器市に釣られて行った思い出があります。
 六道とは仏教の教義で言う地獄道、餓鬼(がき)道、畜生道、修羅(阿修羅)道、人道(人間)、天道の六種の冥界(めいかい)で、人は死後、この六道を輪廻(りんね)転生するといわれています。そのあの世との境が六道の辻(入り口)であり、現在の六道珍皇(ちんのう)寺辺りです。
 平安前期、延暦年間(七八二−八〇五年)に開創された六道珍皇寺は古くは愛宕(おたぎ)寺と呼ばれ、周辺が風葬、鳥葬の鳥辺野の高台だったせいで澄み切った空を背に建っています。江戸時代建立の本堂には、簡素でありながら節のある檜(ひのき)の床板、杢(もく)目を彫り出したような赤杉の柱、飴色に艶(つや)のある松の敷居、毎年八月七−十日の四日間で約七万人が参拝するため、千年以上も変わらない人々の祈りを受けるべく、装飾にこだわらず、参拝客が集えることに重きがあるように建築されています。
 檜材から制作された閻魔大王坐像(ざぞう)は、嵯峨天皇に仕えた官僚で、歌人、学者であり、仏師でもあった小野篁(たかむら)作。経年により、彩色が剥(は)げていますが、堂々とした鋭い目元、手足の貫禄(かんろく)、肉感や布の重なりまでリアルに彫られています。
小野篁作と伝えられる閻魔大王坐像。彩色は剥げているが、大きく見開いた鋭い目元、手足の肉感などが今もリアルに迫る(京都市東山区・六道珍皇寺)
閻魔庁の役人でもあったと伝わる小野篁の立像。袖の広がりは、井戸から冥界に降りたとき、風を受けて膨らんだ様子を表すという
 また江戸時代に制作された小野篁立像は、衣冠束帯姿をし、身長六尺二寸(約一八六センチ)もあります。平安時代ではまさに大男であり、夜は閻魔大王の役人という奇怪な伝説もあります。
 大人になって、久しぶりに六道珍皇寺を訪ね、改めて閻魔大王坐像、小野篁立像、地獄絵など間近で拝見し、死の世界を知る尊さを感じました。それは、宗派を超えて先祖供養をする、京の民俗信仰でもあり、生きるということを自覚することなのかも知れません。
 十萬億土から精霊(御魂(みたま))を迎える澄んだ音色の迎え鐘、その姿は四方を土壁で囲われた鐘楼の中にあり、外より見えません。この寺は、そんな祖霊信仰の歴史を千年以上守り続け、目に見える信仰の証(あかし)なのだと思います。