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牧野邦昭氏 日本の対英米開戦、なぜ選択

牧野邦昭氏 まきの・くにあき 1977年生まれ。京都大経済学研究科などで学び、2010年に摂南大へ。近代日本経済思想史。著書に『戦時下の経済学者』(中公叢書、第32回石橋湛山賞受賞)など。


 今年5月、『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』(新潮選書)を上梓(じょうし)した。副題にある「秋丸機関」とは、1940年から42年にかけて活動した陸軍省戦争経済研究班(対外的名称は陸軍省主計課別班)のことである。
 陸軍省内に作られたこの組織は、有沢広巳や中山伊知郎などの一流の経済学者を動員し、多くの統計を利用して日本のほか米国、英国、ドイツなど主要国の経済力を分析した。
 その報告書は陸軍に都合の悪いものだったのですべて焼却されたと言われてきた。しかし京都府立図書館の蜷川虎三旧蔵資料や京都大に秋丸機関の作成した資料の一部があることに気づいて調べると、秋丸機関の資料は各地にかなり残っており、さらに焼却されたと言われていた報告書も簡単に見つけることができた。
 報告書の内容は「対英米開戦しても長期戦になれば日本は高い確率で敗北する」というものであったが、実はそうした内容は日本の指導層や知識人にとって常識だった。
 正確な情報はみな知っていたが、にもかかわらず対英米開戦という非常にリスクの高い選択が行われたのはなぜなのか。日本は1941年夏以降米国からの経済制裁により、数年後には確実に石油が無くなり、戦わずして屈服する(ジリ貧になる)と考えられていた。一方で開戦すれば高い確率で日本は敗北する(ドカ貧になる)が、他方で低い確率で、ドイツがソ連に早期に勝利して英国を海上封鎖し、日本が南方の資源を確保して持久し、それらにより英国が屈服すれば、米国は交戦意欲を無くして日本は有利な講和をできるかもしれないとも考えられていた。
 人間は確実な損失を避けるためにわずかな確率であっても損失を回避できるかもしれない選択をする傾向があることが行動経済学の研究から知られており、しかも強力な指導者のいない集団意思決定の場合はよりリスクの高い選択肢が選ばれることも社会心理学から知られている。当時の日本のハイリスクな「対英米開戦」という選択もこうした形で説明できると考えられる。
 現在はビッグデータを活用したAI(人工知能)の発達が著しい。しかしAIに指示を与え、その結果を基に最終的に意思決定するのが人間であることに変わりはない。当時の日本の「頭脳」が多くのデータを使ってどのような分析をし、それがどのように扱われたのかという事例は、現代の情報社会に生きる私たちにとっても大いに参考になるだろう。

(摂南大准教授)

[京都新聞 2018年12月07日掲載]