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山崎有恒氏 日出新聞に見える防災意識

山崎有恒氏 やまざき・ゆうこう 1964年生まれ。日本近代政治史。「明治後期京都歴史災害データベース」「昭和期『京都日出新聞』にみる京都の防災思想・技術・システムとその変容」を作成。


 千年の都と称されてきた京都の歴史は、自然災害との闘いの歴史でもあった。地震、水害、火災。京都の優れた文化遺産は、災害をくぐり抜けて今に至っている。それを支えたのは、人々の災害への真摯(しんし)な取り組みであった。
 今から十数年前、立命館大が立ち上げ、のちにCOE研究として採用された災害研究プロジェクトに、私も加わった。京都市民が築いた災害対応に、これはすごいと感嘆の声をあげざるを得なくなった。
 京都は住宅密集地帯だ。火災に対し、行政の対応に依存していては手遅れだ。近世京都の住民は火災を出さない、一度火事が起きたらできる限り初期段階で消すことを目的に、実に緻密なルールを作り上げた。
(1)火事が起きたら周辺の住人は水をくんで現場に急行する
(2)消火に参加しなかった場合は、家主で約400万円、店子(たなこ)で約200万円の罰金を支払う
(3)火元の家はその町を強制退去
 なんと過酷なルールだろうか。
 それだけ火災は身近な災害で、初期対応こそが命運を握ると知っていたからこその、高度な防災システムだった。世界一ともいえる住民の防災意識は、どんな運命をたどったのだろうか。
 京都新聞の前身「京都日出新聞」から災害関連記事を読み込むと、面白い発見があった。近代化、西欧化の波の中で、科学技術による災害克服が叫ばれた。高額なポンプ車などの導入が必要であったため、「災害対応は行政が主導ですべきもの」という考え方が定着していく。
 残念ながらその結果、住民が持っていた世界一の防災意識は、次第に失われていったのである。
 そうした歴史の結果、私たちは、災害に対して、強い当事者意識を感じることが現在、なくなってきたように思われる。災害への不始末を行政のせいにするばかりで、いざというときに自分が何をするか、何ができるかを日ごろから真剣に考えている人は少ないのではないか。
 それでも京都は、まだ他の都市に比べて住民に防災意識がある方ではないか。火災に備えて、消火栓や水をくんだ防災バケツを用意している家は驚くほど多い。近世以前からの良風は、いまだこの街に残っているのである。
 世界一の防災意識を持っていた町衆の末裔(まつえい)として、私たちはもう一度歴史から学び、住民主導の防災システムを再構築すべき時に来ているのではないだろうか。

(立命館大教授)

[京都新聞 2019年04月19日掲載]