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沖田行司氏 新島襄、今なお良心問いかけ

沖田行司氏 おきた・ゆくじ 1948年生まれ。日本教育文化史。同志社大体育会長、ラグビー部長。著書に「日本国民をつくった教育」「藩校・私塾の思想と教育」ほか。2019年3月に定年を迎える。


 2020年は、同志社大学の創設者・新島襄の没後130年。卒業生らは青春を懐かしむ年代になると、新島への愛着が深まるようである。命日の1月23日には、左京区若王子山頂の墓前に若い学生から年配のお年寄りまで、参拝が絶えない。
 新島は良心的に生きることを教育の基本に据えた。参拝者は墓前で、何を語りかけるのであろうか。
 同志社大の正門に良心碑がある。1940年、没後50年の建立で「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」と書かれている。
 キリスト教主義を建学の精神とする同志社は「敵国の文化と宗教を重んじる」との理由で、軍部から強い圧力を受けてきた。1937年の日中戦争開始の年、同志社では新たに「敬神尊王愛国愛人」を基調とする「同志社教育綱領」を定め、教育勅語を基調にした国家の教育方針に沿った教育を実践する、と宣言した。
 キリスト教主義を後退させ、「良心碑」を建立した意図は何か。
 1888年公表「同志社大学設立の旨意」には教育目的として「所謂(いわゆ)る良心を手腕に運用するの人物」を養成することにあると宣言している。新島の弟子で、最も信頼をおいた徳富蘇峰が起草した。蘇峰は1885年に出版した『第十九世紀日本の青年及び其(その)教育』(後に『新日本之青年』)で、すでに「良心を手腕に運用する」との一節を記している。
 記念碑建立にあたり、当時の総長が蘇峰と相談し、同志社教育の目的を「良心」の培養との表現で時代風潮と調和するイメージを作った。
 なぜ「良心教育」が軍国主義の風潮と親和性を持ったのだろうか。
 明治維新の年、1868年9月に肥後熊本藩出身の儒者横井小楠が岩倉具視の依頼で明治天皇の心得として「中興の立志七条」を起草した。小楠は、開国目的を「地上から戦争をなくし、世界平和の実現にある」と主張した特異な思想家である。
 その7条に「戦争の惨憺(さんたん)万民の疲弊、之を思ひ亦思ひ、更(さら)に見聞に求むれば、自然に良心を発すべし」と記している。明治天皇への遺言として『遺表』を著し、国民の模範となる天皇に良心の重要性を説いた。
 『遺表』は小楠の門弟を経て、熊本出身の同志社人に受け継がれてきた。「良心教育」は明治天皇の心得でもあり、軍部が不用意にとがめる事もできなかったのではないだろうか。小楠の反戦・平和の思想が良心碑に隠されていたのかもしれない。
 「良心」は時代に応じて多様に解釈されてきたが、新島が思い描いた「良心的に生きる」とは何か。130年の歴史を越え、現代の私たちにも問いかけてくるのである。

(同志社大社会学部教授)

[京都新聞 2019年01月18日掲載]